空しさと切なさ
どうも、お久しぶりです、僕です。
ここ数日は、誕生日だったり諸々の手続きだったりで記事を書かずに申し訳ない。
まあ、忙しかっただけでなく、前回ぼやいた真・伊達政宗に勝てたり、前述の誕生日だったりで良いこともあったので、一概に悪いことばかりではなかったのでご安心ください。
今日は、とあるフェミニスト(?)の呟きへの自分なりの意見をば述べてみようかと。
こういう誰かの思想への口出しは炎上案件でもあると思いますが、なにぶん、僕も考える葦ですので、思ったことは燃えない程度に綴るべきだと思うのです。
思考は人それぞれであり、こと一般常識だの基本知識だのでも、隣人、家族、恋人、親友とも、大なり小なりの相違は生じるものです。
それを否定するのは結構なのですが、そこで
「まあそう思う人もいるよね、じゃあお互いに折り合いをつけられる点を見出そうか」
と全人類が考えられたなら、諸々の問題は解決する気がしないでもない。
さてもさても、ここで議題に挙げたいのは、とある弁当のパッケージに、頬を染めて弁当を食べる女性のイラストに対する意見です。
初めの呟きの主は、この絵を描いた人を探していたのですが、そこに突っかかってきたのはフェミニスト(?)と思しき人。
以下、その方の論です。
「日本はいつまで、頬を赤らめる女性をアイキャッチに消費される事を許容し続けるのか?怒りで震えて涙が止まらない」
「あらゆる性的表現に鈍感になってる日本人が異常なのです。海外では頬を赤く染める表現もアウトだよ。」
「日本以外でゾーニングしないで、こんな猥褻物を陳列したりしません。日本にいるだけで、全ての女性の人種が踏みにじられているのです。」
「このような男○器に見立てた箸を頬染めた女性にくわえさせた露骨な性的表現を擁護する日本人の多さにゾッとする。怒りに震えて涙止まらない。。」
※一部表現を、不快な人が減るよう隠しています。
※某SNSでの特定を推奨する意図はありません、決してそのような事はしないでください。
…まあ、ここ数日に出てきた話題なので、ご存知の方も多いかもですね。
画像なんかは載せられないので…いや、やり方知らないだけなんでできるかもだけど…
まあ、僕は上記のような卑猥な表現は無いと思うので、よっぽど怖く感じる人でなければご自身で見ていただけたらなぁ、と。
この方が問題視される点は、絵を描いた人を知りたい、という希望に、それを猥褻物だという意見をぶつけた上で、問題を更に拡大解釈しているところです。
歪な理論を展開する方に見られる特徴の1つに、「主語を大きくする」という点があります。
全員がそうしているわけではない事には注意してください。
このフェミニスト擬きの方は、女性が頬を赤らめる表現を「『日本全体』が許容している」ものであり、これを「『日本全体』の異常」と述べています。
…まあ、広義で見れば、日本の漫画やアニメで頬を赤らめる女性キャラクターは一定数いるのでしょうが、果たしてこれを日本全体の問題まで拡大して解釈する必要があるのでしょうか?
僕は、以下のように思うわけです。
①頬を赤らめるのがダメ、とは、友人同士との他愛無い会話で少し照れたりするようなシーンもダメなのだろうか?
②日本全体の問題とあるが、アニメや漫画を嗜まない日本人もいるだろうに、そこまで問題の輪を広げる必要性は何処にあるのか?
という点ですね。
また、この方は以下のようにも呟いています。
「ホントにもうやめてよ!!嫌な事を嫌と声上げただけで攻撃されないといけないの?死にたくなる。。
メンタルをガタガタにすり減らして声上げても、日本で女性は踏みにじられ続ける。いい加減にして」
「アニメ表現の性搾取が「加害」だと理解できない日本人多過ぎて吐きそう。
私は「虐めやめて!!」と言ってるだけ。」
ここでも、主語を大きくしているのがわかるでしょうか?
自分が不快に感じた事を、さも日本人全員(主に男性ということだろう)から(自分を含む(?))女性への攻撃、虐め、加害と言っていますね。
自分の意見を、さも多くの女性の意見のように呟く根拠は何処にあるのでしょうね?
フェミニストを十把一絡げに否定する気はありません、お国柄的に女性蔑視の国も世界にある事は否定できませんので。
某ボビ○・オ○ゴンさんも逮捕されましたし、宗教なんかも多くは女性蔑視の傾向にありますから。
でもそれを、ただ弁当を美味しそうに食べる女性の絵に向かって、捻じ伏せるような暴論として振りかざすのは、ペンシルで人を刺すのと大差ない行為と言えるでしょうね。
自分の理論を展開する時は、自分以外の誰かが傷つく可能性を考慮しないといけません。
どれだけ気を配っても、揚げ足を取るかのように、敵対者や、意見を不快に感じる人は出てきます。
まして、何かを嫌がったり、否定する意見ならば尚更にそういう人が出てきます。
自分の言の葉が、言の刃になる事を努忘れないようにしたいですね。
そして、敵対者なら傷つけても構わない、自分は被害者である、という認識だけに捉われないようにも。
あと、絵描きを探す呟きに、絵を描いたわけでもない人への攻撃は普通に的外れですよねぇ…
この方には強く生きてほしいですね…コンビニに並ぶ漫画やテレビCMなどを見る度、負の感情で耐えられなくなり発狂、失神する毎日なのでしょうから…
因みに私怨込みの愚痴を言わせてもらうと、僕もそういったきらいのある生徒を塾で見たことがあります。
そこそこ仲良くやっていたのですが、勉強を頑張ってたので、頭を手で軽くポン、ポンとして褒めたら、次の日に苦情の電話が来て塾に迷惑をかけた事が…
思春期女子だった事もあるのでしょうが、頭に手が触れるのも嫌なのでしょうから、僕に女心は一生わからないかもしれません。
まあ、男とか女とかLGBTとか、人間色々ですけど、隣人ですら嗜好が理解できない事も多々ある世の中ですので、理解して折衷を探るのが大切だと感じる僕でした。
フェミニズムも、やり過ぎれば男性蔑視へ至りますし、男女平等を謳えば今度はLGBTの方の肩身が狭くなります。
女性が少年漫画を描いても、男性がバスガイドをやっても、角が立たない世界になると良いですね。
…あ、因みにフェミニズム擬きの方、何故かA○女優の呟きもチェックしていたりしてましたね…なんだか闇が深いなぁ…
【今日の空論】
正義とは善悪を計る物差しであり、自分にとっての善1(=+1)が、他者にとっては善10かもしれないし、悪1(=-1)かもしれない。
同じ世界、同じ国、同じ家、同じ法、同じ宗教観、同じ時間の中で生きていても、同じ常識の中では決して生きられない。
故に、大切な事は、己を知り、他を知り、その上で常識の相違点の折衷を探る事だ。
それは過酷な場合もあるし、折り合いがつかない場合もあるだろう。
だが、お互いを理解していると誤認したままなのと、折り合いをつけようとした過程があるのとでは、俄然後者の方が良い関係を築ける。